復興ログ

未来の被災地にいるアナタと数十年後のキミたちへ。すべての記録を残します。

東日本大震災から1500日目

2015年5月18日(土)で震災発生(311を1日目)から1500日目です。震災から3000日目は2019年5月27日です。東京オリンピックまで1年に迫るタイミング。

  • 2011年3月11日から今までの1500日
  • 今から2019年5月27日までの1500日

これから先は東京に日本中のリソースが集中する期間になりますよね。日本中が東京オリンピックに湧く瞬間。今までの1500日で作り上げたものが、持続し続けて、日本中を驚かせるのかと思うと、楽しみで仕方がありません。

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(2015年4月15日(木) 日和山公園より)

これからは、復興支援を超えて「地域愛」に振り切ろうと思います。ここからの活動にしっかりと責任を持って、地域に活力を作りたいと思います。次の1500日はしっかりと地域への責任を抱いて前進したいと思います。

5年目の被災地からようやく見えた日本の未来

突然ですが、僕が小学校に上がったぐらいの時に、じぃちゃんからこんなことを言われました。

「おじいさんは、消防(団)で地域のために、がんばってきたから、ひろくんも地域のためにがんばってよ」

酒を飲んで酔っ払っていたものの、心から伝えたい言葉だったのだと思います。そして、小さいながら、とても印象的な言葉だった。そうやって言われたことが本当に嬉しかったのだと思います。家が近所のいとこがいて、みんな年齢も近いこともあり、いつも一緒に遊んでいました。小さな頃から、身近な人に接すること。地域を知る第一歩がこれだったのだと思うのです。小さな頃の思い出です。

地域の誇り

東日本大震災の復興から見え隠れする日本の地方の未来。最も大切なことは「地域の誇り」なのではないでしょうか?そんなことを考えたことがなかったり、そんのことが大切とも思わない人が大多数なのではないでしょうか。誇りはなくても生活には困りません。見えにくいものだからこそ、そこに気がつくことも難しく、また語り合うことも難しく、そこに気がついても声を大きくすることに、ためらいがあるのだと思います。
石巻の交差点ど真ん中で「石巻が好きだ!この街が好きだ」と叫びたくなる(通報されると思うけど。。)そんな思いだと思います。ここに集約されることが「地域の誇り」として一括りに出来ないかもしれませんが、何らかの誇りがあって、いまこの場所にいるのだと思うのです。それを多くの人に問いかけ、きっかけを与えたのが東日本大震災だったのだと思います。ここでやっていく覚悟が誇りとなり、あれから4年が経過しました。
何らかの誇りを持っている人の信念や志は非常に強いものがあり、それが「地域」に向いている人間(ローカリスト)は、ただただ、この街を誇り、何とかするために前進をします。家族や友達、ご近所さんがいるこの街が、本当に大好きなのです。
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石巻市民憲章にも「郷土の誇り」の文字があります。

全ては地域を愛することからはじまる

ローカリストの行動は金銭的なものが大きな判断理由にはならず、我町のことを成し遂げていきます。ここに地域を変え、その果てには日本の地方を変え、日本全体を変えるヒントがあるのだと思います。
震災発生後、復興支援により、ヒト・カネ・モノが被災地へ動きました。4年が経過した今もなお、支援をいただいています。ヒト・カネ・モノの支援がどれだけ被災地で機能しているのか。それが地方創世のポイントだと思うのです。あくまでも地元の人間による「自発的、自律的、自主性」がなければ、外部から知識や技術を供給しても地域で根ざす仕組みにはなりません。
果たして、それ自体が地元の人間、自ら声を上げ、自ら頭と体を使って作り出したものなのかが重要になるのが5年目の復興だと思うのです。決して、外来型開発を否定するわけではなく、取り入れながら地域に合った形にカスタマイズが出来るのも地域の人間でしかないということです。
地域のために自発的、自律的、自主的に信念や志を持って、取り組める力量があるのかどうかが問われるフェーズとなったのです。

志は誰も与えてくれない

NHK大河ドラマにて、吉田松陰が口にしたこの言葉。
志は誰も与えてくれません。
君自身が見つけて、それを掲げるしかありません。
君は、何を志しますか?

志や地域の誇りは人生の道端に落ちていたり、転がっているものではありません。志だからこそ、自分でそれを見つけ出す必要があるのです。

衰退する地方や5年目の復興のキーは地域を愛する人間を作ること。だと思うのです。地域を本気で愛する思いを醸成する必要があり、それもまた、地域を誇りに思うからこその行動や思いなのです。地域を思う芽を見つけて、育てること。
地域社会が回るということはそういったことであり、今こそ世代間継承をする必要があります。これがグローバル化する日本再生のヒントなのではないでしょうか。

江戸時代の石巻の英雄 川村孫兵衛

石巻で一番大きい夏祭りの川開き祭りは、石巻の礎を築いた、川村孫兵衛の偉業をたたえ海難事故や水難事故によって亡くなった英霊を供養するために行われている祭りです。今もなお、石巻に名を残す川村孫兵衛ですが、いったい何をしたのか?調べてみました。

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▲工事を指揮する川村孫兵衛(河南地区、八雲神社蔵)

川村孫兵衛重吉

長門国阿武郡(現在の萩)の出身で、毛利輝元に仕えたが、慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いで毛利氏が大幅に減封された際に浪人となった。その当時伊達領であった近江国蒲生郡滞在中、在京していた伊達政宗にその才能を見出されて、慶長6年(1601年)に、その家臣となる。

元和2年(1616年)から寛永3年(1626年)に至り北上川の治水工事を行なって、仙台藩の石高を大きく向上させた。また、これによって陸奥北部との海運も発達した。

子孫は代々門脇村釜に住した。

川村重吉 - Wikipediaより引用

伊達政宗の家臣となった孫兵衛は仙台藩財政の乏しさを、自身の借金で補いながら工事を指揮し、作業をする人々と一緒に寝食を共にして作業にあたったのだそうです。

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▲日和山公園の川村孫兵衛の像

北上川の流路と改修工事

伊達政宗の命で北上川の治水を言い渡された川村孫兵衛ですが、どんな工事をしたのでしょうか?北上川は川村孫兵衛の工事の以前にも、治水の工事が行われています。

真っ先に手を付けたのは登米寺池の領主、伊達相模守宗直でした。

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▲「石巻市の歴史」より引用。赤字部分は追記したもの。

伊達宗直は登米の新田開発の必要性から慶長10年~15年(1605~1610)にかけて北上川を川面付近で遮断し、米谷へ湾曲させることによって(①部分)、森と吉田の流路はなくなり、かつての北上川流域は新田として開発されます。

登米の新田開発の必要性から慶長10年~15年(1605~1610)にかけて北上川を川面付近で遮断し、米谷へ湾曲させることによって、森と吉田の流路はなくなり、かつての北上川流域は新田として開発されます。

その後、北上川の急流を緩和するために迫川へのバイパス工事を行い(②の部分)、北上川工事のバトンを川村孫兵衛へ渡すことになります。

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▲「石巻市の歴史」より引用。赤字部分は追記したもの。

元和9年(1623)には、藩命を受けた川村孫兵衛が、柳津-飯野川間の遮断、北上川・迫川・江合川の流路を和渕で合流、水害防止、かんがい用水の確保などの改修工事を行いました。

川村孫兵衛の河川改修は

  1. 柳津と飯野川との間の流れを止めること
  2. 江合川と迫川を合流させること
  3. 北上川、迫川、江合川の流路を整理統合して真野川に合流させる

これにより、上流の盛岡からの舟運が可能となり、新田開発も盛んに行われるようになった。河口の石巻は藩米の集荷地となり、石巻の湊、門脇、住吉に藩倉が建てられた。こうして石巻は、仙台藩江戸廻米の基地として藩経済の中心となった。

今の北上川河口の風景は川村孫兵衛が作ったものなのですね。このあと、明治政府によって、さらなる北上川の改修工事が行われ、今の形となりました。

晩年、川村孫兵衛は釜に住んだとされています。川村孫兵衛の菩提寺の普誓寺は東日本大震災の大きな影響を受けています。

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川村孫兵衛の偉業のお陰で、米の一大集積地となった石巻。伊達政宗が石巻を治めることがなければ、孫兵衛も石巻には来ることもなく、その才能も発揮することもなかったのかもしれません。北上川の大改修が行わなければ、港町としての繁栄もなかったのだろうと思うと、全てはつながっているように感じます。

過去の偉人に感謝し、授けられた風景を大切にしたいものですね。

 

 

引用文献・サイト

仙石線 完全復旧 カウンター

仙石線の完全復旧が待ちきれない石巻市民の皆さんのために、カウンターを作りました。

仙石線 完全復旧まであと

どうぞ、ご自由にお使いください!

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/* タイマーの枠設定 */
#timer{
    border: 1px solid #000000; /* 枠のスタイル */
    padding: 16px;
    width:300px; /* 枠の横の長さ */
    text-align:center; /* 真ん中寄せ */
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/* 「あと」の大きさ */
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<script src="https://ajax.googleapis.com/ajax/libs/jquery/2.1.3/jquery.min.js"></script>
<script type="text/javascript">// <![CDATA[
$(function() {
  var NowTime = new Date();
  var targetTime = new Date("May 30,2015 00:00:00");
  var spanTime = targetTime - NowTime;
  var dayTime = 24 * 60 * 60 * 1000;
// 期限から現在までの『残時間の日の部分』
  var d = Math.floor(spanTime / dayTime) 
// 期限から現在までの『残時間の時間の部分』
  var h = Math.floor((spanTime % dayTime) / (60 * 60 * 1000)) 
  $("#dayTime").text(d + '日 ' + h + '時間');
 });
// ]]></script>
<div id="timer">
<p>仙石線 完全復旧まで<span id="timerAft">あと</span></p>
<div id="dayTime"> </div>
</div>

Swift iOS アプリ 制御文メモ

for-inループ

for i in 1...10 {
 println("a")
}

var logs = ["a", "b", "c"]
for logs in log{
 println(log)
}

// 5回繰り返す
for var i = 0; i < 5; i++ {
 plintln(i)
}

whileループ

var count = 0
while count < 5 {
 println(count)
 count++;
}

if

var test = true
var test2 = true
if test {
 println("OK")
}
else if (test2) {
 println("OK")
}
else {
 println("NG")
}

switch

var test = 3
switch test {
case 1:

case 2:

case 3:

default:

}

Swift iOS アプリ 定義メモ

コメントアウト

// コメントアウト
/*
コメントアウト
*/

変数出力

var sum = 0
println(sum) // 改行あり
print(sum) // 改行なし

変数型定義

var sum: Int
var name: String
var city: String = "Ishinomaki"
// 型推論
var city = "Ishinomaki"

定数定義

let pi = 3.14

配列

// 文字列配列
var array = [ "aaa","bbb","ccc" ]
// 数字配列
var num = [ 1, 2, 3]
// 明示的に型宣言
var 中学校 : [String] = ["石巻","門脇","湊"]
// 空配列
var test: [String] = Array()

辞書

var address = ["都道府県": "宮城県", "市町村", "石巻市"]
var pre = address["都道府県"] // 宮城県になる
var city = address["市町村"] // 石巻市になる
// キーがInt型で値がString型の空の辞書を作る
var dict:<Int,String> = Dictionary()

幕末の江戸の人口比率

ちょっと、気になったので、調べてみました。

元号西暦全国人口首都人口首都人口割合
安政6年 1859年 32,327,000 2,000,000 6.18%
平成27年 2015年 126,910,000 13,392,041 10.55%

およそ、この150年で首都への集中具合が4ポイントの増加。

全国人口が4倍、首都人口が6倍に。 

今の日本は10人に1人が東京に住んでいるということですね。東京だけなので、首都圏に直した時にはもっと、膨らむ数字だと思うけど。

やっぱり、150年での東京の人口増加もすごいと思うけど、150年前の江戸もすごかったと思うんですよね。200万人もいたわけですから。。そりゃ、火事になったら、大変だったろうし、治安の維持も大変だったんだろうなと。八百八町あったわけだし。

出典