復興ログ

未来の被災地にいるアナタと数十年後のキミたちへ。すべての記録を残します。

震災から一年半 南三陸、気仙沼、陸前高田を巡って

石巻から三陸道、国道45号を車で北上し、南三陸気仙沼、陸前高田と訪問してみました。今までは、石巻の情報や状況と向き合うことで精一杯で、震災以前から馴染みが無かった街へは行くことが出来ていませんでした。

震災から一年半が経過し、それぞれの街のハード的な復興状況と被災地の気持ちは?

写真の掲載に対してご意見があれば、ご連絡をください。

 

南三陸町

石巻市と隣接している街になります。街の入り口のある「ホテル観洋」は避難所にもなり、見晴らしが良いホテルとして有名です。10年以上前に泊まりに行ったなぁ。きれいな海で釣りをした覚えがあります。

 

南三陸町役場防災対策庁舎

津波が襲来する直前まで街の防災無線により避難を呼びかけ続けていた、防災対策庁舎。見学や慰霊に訪れる方が大勢いました。

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南三陸防災庁舎:解体再検討へ 住民有志「保存を」 - 毎日新聞(2012年8月23日)

 東日本大震災で町職員ら42人が犠牲となり、10月末までに解体される見通しとなっている宮城県南三陸町の防災対策庁舎について、町民有志6人が「防災庁舎を保存する会」を結成し22日、保存を求める2078人分の署名付きの陳情書を、佐藤仁町長に提出した。これを受け佐藤町長は、保存するかどうか再検討する考えを示した。

現在、南三陸の防災庁舎は、保存の再検討が行われているのだそうです。

 

南三陸さんさん商店街

南三陸町の道路沿いには、さんさん商店街への看板がたくさん立っています。とても、広い仮設商店街でした。また、南三陸名産の「たこ」のオブジェや、商店街の中には、多くの観光客がいて、賑わっていました。

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気仙沼市

宮城県の一番北の街が気仙沼です。ふかひれや気仙沼ホルモンが有名です。

気仙沼南町紫市場

そんな美味しいものがたくさんある気仙沼の復興商店街に行ってみました。二階建てで、商店街の中には音楽が流れていて、ぶらぶらしても過ごすことが出来ます。

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「ふかひれラーメン」を食べてみました!スープも麺も、ふかひれも、とろとろしていて、とても美味しかったです。お店の方にお話を聞いたところ、徐々に、ふかひれも復活してきているようです。

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第十八共徳丸
震災の津波によって800メートルも打ち上げられた大型漁船。見学をする人がたくさんいました。
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 津波で陸に800メートル打ち上げられた大型漁船「第18共徳丸」(全長60メートル、330トン)の保存を検討する気仙沼市。担当職員は毎年の維持管理費を「数百万〜数千万円かかるかも」と幅広く見積もり「海に浮かんだ船なら、ある程度算定できるが、陸上の船はどうメンテナンスすればいいのか」と戸惑う。
 
気仙沼市は船の保存を検討しているようです。記事にも書いてありますが、保存(または写真撮影についても)については、その場所で生活をしている人や、遺族の感情を考えなくてはいけないと思います。
 

陸前高田市

気仙沼を超えて岩手県に入ると陸前高田です。

奇跡の一本松

陸前高田に入るとすぐに、奇跡の一本松(跡地)があります。一本松へ続く道は、市によって奇麗に整備されていました。

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一週間前に切り倒された、奇跡の一本松

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雨に濡れないように、雨よけが付けられていました。

「奇跡の一本松」伐採…また会おう 岩手・陸前高田 - 朝日新聞(2012年9月12日)

12日に切り倒された一本松。大勢の地域住民に見送られたこの場所も静かになっていました。保存処理が施された後に、また、この場所に戻ってくるそうです。その時に、もう一度、陸前高田に来たいと思っています。

陸前高田市は奇跡の一本松の保存を目的とした募金を行っています。

奇跡の一本松保存募金へのお願い

 

被災地を巡って

石巻から陸前高田まで100キロです。車だと、約2時間半ほどかかります。

町中を車で通っただけでは、その町の復興状況や住民の意見集約の状況を知ることは出来ません。

それぞれの町で共通して言えることは海がきれいということです。きれいな砂浜があって、にぎやかな漁港がある。それが三陸沿岸の震災前の様子なのだと思います。

それぞれの町で共通した課題は、どうやって震災の出来事を未来に継承しつつ、防災を取り込んだ、新しい街づくりを進めて行くのか?ということだと思います。

 

三陸の防災庁舎、気仙沼の大型漁船、そして陸前高田の一本松を見て、震災を忘れて欲しくない気持ちと、震災を忘れたい気持ちが被災地全域で感じられました。