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復興ログ

未来の被災地にいるアナタと数十年後のキミたちへ。すべての記録を残します。

大震災から4年 石巻のこと

復興情報

もうすぐ震災から4年が経過しようとしています。今の被災地の姿は20年、30年後の日本の地方都市の姿で、復興への取り組みは日本の将来を左右することになる。とよく言われます。普段はそんなことを考えながら、見えない将来を模索し続けているのですが、この3月だけは過去を振り返りたい気持ちになります。2011年3月11日のことを思い出したり、それ以前のことを思い返したり。3月は過去、現在、未来を同時に考える月でもあります。

あれから、4年が経過しようとしています。震災当時、東京にいた僕が、石巻にはじめて帰ってきたのが2011年3月下旬。日和大橋から南浜町の町並みを見下ろして「戻すのにいったい何年かかるんだ・・」と思い嘆きました。

1000年に一度と言われた東日本大震災。「何も自分たちの世代で起こらなくても良かったでしょう。」そう思うばかりでした。復興への道のりが「長丁場になる」なんて想像もできませんでした。4年が経過し、今の街はどうなったのか?思うところをメモしておきます。

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写真の左に写る白い建物が「石ノ森萬画館」です。石巻の街中にあります。写真の左側が石巻駅がある中央地区です。

2011年の震災をきっかけに、延べ28万人が石巻にボランティアとして来てくれました。今でも市内にはボランティアを受け入れている団体があったり、ボランティアがきっかけで、定住した人達がいます。よそ者のボランティアとして、石巻にやってきた人たちが今、街の中で生活をしています。飲食店やマッサージ店を経営したり、いわゆる「まち」(立町通りやアイトピア通りなど)が、そういった方たちの生活の場となっています。地元の人たちと一緒に、町づくりをしていて、生活する人たちにとって、とても居心地の良い場所になっているように感じます。地元の商店街の、おじぃちゃん、おばぁちゃん、よそ者の若者が一緒に会話をしている様子が珍しくありません。

2011年、震災が発生してからというもの、石巻の街中に顔を出すと、いつも知らない人がたくさんいました。「石巻のためにどうにかしたいと思い」集まった人たちは、みんなが知り合いとなって、友達となりました。「あの人だれ?」「あの人は、○○の団体の人で○○から来た人だよ」という会話が頻繁に行われていました。今は、そういった会話も少なくなり、プレーヤーが限られてきました。石巻を離れる人も増えて、新規プレーヤーよりも石巻を離れる人の方が増えているように感じます。それが、良し悪しというわけではなくて、まだまだ、人を引きつけてつなぎ止めておくだけの力がこの街にはないのだろうなと思います。また、石巻という街はそういった人たちにとっては、一つの通過点であり、大事な種を残してくれた場所だとも思います。震災がきっかけで石巻に訪れた人たちが残した仕組みを使って、更に新規プレーヤーが生まれる環境が必要なのかもしれません。

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写真を撮影した日和山から見える風景は、なんとも言えない風景です。春になれば震災から5回目の桜が咲きます。そんな日和山は僕に「頑張る理由」を提示してくれます。「戻すのにいったい何年かかるんだ・・」と思った4年前。4年という月日は短くも長くも感じられます。まだ4年、やっと4年。

街を戻しながら日本の20年先の未来を見つけたいと思います。

僕の第二の人生の原点がこの山にあります。

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