復興ログ

未来の被災地にいるアナタと数十年後のキミたちへ。すべての記録を残します。

吉田松陰が石巻に来ていた

NHKの大河ドラマが大好きな私です。初回放送から一ヶ月ほど見て、おもしろかったら、1年を通して視聴することにしています。今年の大河ドラマはおもしろくて、毎週楽しみにしています。


NHK大河ドラマ「花燃ゆ」

 

ドラマに登場する吉田松陰が実際に石巻にも来ていたという記事を見つけたのでご紹介です。


NEWS石巻かほく:吉田松陰と石巻〜足跡をたどる 1852(嘉永5)年3月に立ち寄り|メディア猫の目

以下、引用

 日活パール(石巻市中央1丁目)の裏手に「吉田松陰の宿所跡」(1983年建立)と書かれた説明板が立っている。

 それによると「東北遊歴の途中、粟野邸に一泊した」とある。

 松陰が東北地方を遊歴したのは1851(嘉永4)年12月から翌52(嘉永5)年4月にかけて。石巻には52年3月6日に立ち寄った。粟野邸とは仙台藩士・粟野杢右衛門の屋敷のことで、日活パールの場所にあったと言われる。

 なんと、吉田松陰が日活パールの場所にあった屋敷に泊まったのだそうです。 日活パールの裏手には吉田松陰宿地の説明板が立っています。 

ドラマでは早くも第二話で吉田松陰は東北視察を終えたようです。

 松陰は日和山からの眺望も楽しんだ。川村孫兵衛重吉の北上川改修事業によって、仙台藩のみならず南部藩、一関藩、八戸藩の藩米の集荷地となり、江戸回米の基地として繁栄する石巻のにぎわいが強く印象に残ったようだ。その時の港町・石巻の活気ぶりを、漢文で「東北遊日記」に記している。要約すると次のように紹介している。

 「港には船数七八十艘が停泊している。湊や住吉には南部・一関藩の米倉があり、道路は四方八方に広がっている」

吉田松陰は日和山からの風景も楽しんだのだそうです。吉田松陰は、賑わう石巻の街を見て何を思ったのでしょうか。

吉田松陰が石巻に来たのが1852年。黒船が来航するのが翌1853年。通行手形の発行を待たずして、旅だったのには、すぐにでも日本を見て回る必要性を感じたからなのではないでしょうか。時代を読み解く嗅覚を吉田松陰に学びたいものです。