復興ログ

未来の被災地にいるアナタと数十年後のキミたちへ。すべての記録を残します。

がんばってっちゃ!! 石巻

今年の大型連休も終わりました。普段は東京で仕事をしているのですが、連休を利用して、生まれ育った街の宮城県石巻市に帰ってきました。聞いたこと、見たこと、感じたことを全て、書いておこうと思います。たくさんの意見があると思いますが、忘れたくないし知ってもらえるなら嬉しく思います。

石巻市の被害

僕の実家は石巻の中でも内陸に位置していたために、無事でした。家族も、親戚も奇跡的に無事でいました。牡鹿半島で牡蠣の養殖をしている叔父の家は全て、津波に持っていかれました。廃業して、仙台で生活をすると言っています。

がんばってっちゃ!!石巻

東京では「がんばろう日本」をたくさん聞きました。宮城県に入ると「がんばろう東北」「がんばろう宮城」「がんばろう石巻」となります。避難所生活をしている人からこんな話を聞きました。

「がんばろうって言われても、これ以上何を頑張ればいいのか・・。十分に頑張っていますよ。」
避難所生活が日常になりつつあり、ここから更に生活の変化を伴うことは、更にしんどい。
別の方はこう教えてくれました。
「街中で唯一、別の、のぼりがあったんですよ、がんばってます石巻って書いてあった」
「応援してくれるのもわかりますし、とってもありがたいんですよ」
全国の人に支えられていることを実感していますし、応援してもらっていることも実感しています。そう教えてくれました。

日本を巡る復興の経験

「ウチの電気を通してくれたのは新潟で働いている人だったよ」
「今日、ガスを通してくれたのは大阪ガスだった」
「電気が通っていない地域で交通整理をしてくれていたのは兵庫県警だった」
もちろんそれ以外のたくさんの方々にも応援をいただいています。
被災直後は災害派遣と書いてある他県のナンバーの車が街中をたくさん走っていました。首都圏からの応援もたくさんありました。更に、神戸出身の会社の同期からは「ボランティアに行きたいんだけど情報を教えてくれないか?」と言ってもらえました。バックグラウンドを知っているだけに、とても嬉しくて涙が出ました。

全国の方々に本当に感謝をしています。街中を歩くと「がんばろう石巻」の中に
「ボランティアの皆さんありがとう!」
「救援ありがとう!」
と書いてあるメッセージがあります。物資、ボランティア、あたたかい言葉、本当にどうもありがとうございます。

交通渋滞

連休前に「石巻では渋滞が発生している」とのニュースがありました。もの凄い車が街中を行き来しており、通常時の3倍ぐらいの移動時間がかかります。渋滞発生を全国に呼びかけるニュースがある一方で、この現象は震災からの復興のスタートアップの証なのだと思います。(こんな渋滞していたら仕事にならないという声もありましたが・・)全国の皆さん、応援ありがとうございます!

何が出来るか


若い子たちも本当に考えています。自分には何が出来るのか?
「この記憶を残したいんだけど、どうしたらいいだろう?」
「全国の人に感謝をしたいんだけど、どうしたらいいんだろう?」
「亡くなった家族、親戚、友達の変わりに何ができるのだろう?」
「この街を復興させて元気にしたい!」
将来、この街を背負っていく若い子達が、未だかつて考えもしなかったことを、真剣に考えています。僕もあの瓦礫の山を見ては何も出来ない。。と悔しがるだけなのですが、震災と真剣に向きあって自分には何が出来るのか?を考えています。

石巻川開き祭り

2010年石巻川開き祭りの様子
2010年石巻川開き祭りの様子
写真は2010年の石巻川開き祭りの様子です。

被災二週間後の2010年3月26日の様子です。

避難所生活をする方と、こんな話をしました。
「全国の方に支援を頂いたり、応援をしてもらう事に感謝をしながら、最終的には被災地自身で立ち上がらなくてはいけない」
どうしようもなくて、泣きたい気持ちもありますが、最終的には自分たちの手で街づくりをしていく気持ちでいます。それまでは、どうぞ、ご支援、ボランティアのご協力をよろしくお願い致します。

石巻川開き祭りは毎年「8月1日、2日」と開催します。全国の方に支援をいただいた、宮城県石巻市が、震災から半年経たずに開催をすることになります。どんな形での開催になるのか、まだ分かりませんが、
「こんな時に開催をして、何を考えているんだ」
といった声がある一方で、僕が耳にしたのは
「開催を楽しみにしている!」
という声でした。

石巻立町通りの北日本銀行の前で、僕も出店をしたいのですが、商工会議所に問い合わせればいいのでしょうかね・・?知っている方、よろしくお願い致します。

がんばっています!石巻!