復興ログ

未来の被災地にいるアナタと数十年後のキミたちへ。すべての記録を残します。

東日本大震災 その時、ソーシャルメディアは

2011年3月11日の東日本大震災から、3週間が経過しました。インターネットを駆使して今回の震災で被災した宮城県石巻市の被害状況の情報を得ようとした全ての記録です。

宮城県石巻市

id:hebita164の(@)プロフィール

  • 宮城県石巻市出身
  • 現在は東京でインターネットのお仕事をしています
  • 大学を卒業する2007年まで暮らしていました
  • 宮城県をインターネットで元気にしたいと思い勉強のために上京
  • 石巻の好きなイベント:川開き祭り、8月に開催され石巻の本気を感じることが出来るお祭りだから

東北の人は奥ゆかしくて、まじめ。我慢して耐えればいつか成功する。口にはしないけど、そんな感じだと思います。ウチの、家族、親戚もそうです。当たり前ですが、親戚はほぼ、石巻に住んでいます。友達も石巻です。

大震災 vs. ソーシャルメディアの総力戦

facebookに書いたノートを編集して公開します。

3月11日の14時46分

地震が発生した時、僕は地下1階にいました。お昼を買いに行っただけだったのでメインの携帯を持っておらず、iPhoneしか持っていませんでした。会社の外に避難して、避難してきた会社の人間から「震源地は宮城県沖だよ」という話を聞いて、その時から覚悟しました。ついに宮城県沖地震かと思いました。手には買ったカレーを持ちながら周りの人間が、会社が倒れるんじゃないかと思っていた心配よりも、真っ先に宮城の家族、親戚、友達が心配になりました。
なんとかして、テレビを付けました。NHKの名取川に押し寄せる津波の中継映像を見ました。映画か?と思うくらい、津波ってこうやって押し寄せるんだ。。と思いながら、出身地の石巻にもコレが来てると思いました。そしたら涙が出てきて、ダメでした。

大自然災害を目の前で見せつけられ、何もできない
その時、インターネットは無力だ

と感じました。あんな、すごい津波を見せられたら、どんな力を持っても無力だと思いますが、、自分がやってきたことは一切通じないと思いました。NHKは中継をしていて、本当にすごいって思いました。
「しっかりしよう」と言われ、自分には何が出来るのか、、一生懸命その映像を見ながら考えました。でも、涙が止まらず・・。

少し時間が経って、一時的に退避が必要となったオフィスに入れる。と聞いて、携帯を使って家族に連絡をしたかったので会社に戻ろうとしました。泣きながら、今まで勉強してきたインターネットって何だったんだろう?今から何が出来るんだろう?と考えながら、会社に戻りました。どれだけ揺れてもいいから会社に入って携帯を取ってきて、早く連絡をしなくちゃと、それだけを思っていました。

他の人はどうでもいいから、自分の家族だけは無事でいてくださいってそんな気持ちになる。何で、自分だけ東京に居るんだろう。。と何度も思いました。もう、こんな気持ちは二度と味わいたくないです。

会社に戻ってメインの携帯で家族に電話をしてみるもダメ。。
親戚に一斉にメールを送りました。

「どう?」

と3文字だけ。

はじめに、近所に住む叔母から、メールが来ました。

3/11 20:11

ずーっと揺れて、電気がつかず寒いよー部屋の中は、めちゃくちゃです。

そのメールの中で、ウチの母親は大丈夫。弟は走って一度様子を見に来て、また職場に戻った。
と書いてありました。母の無事を確認して、職場にすぐに戻った弟は偉いと思いました。ものすごく、誇りに感じます。

3/11 深夜

その日の夜中は、会社から、地震情報を集めるべく、サイトを作成し今できることをやりました。
インターネットしかしらない自分にはそれしか出来ませんでした。
夜中には必死に会社からtwittermixiを確認しました。

mixiの書き込み

  • 「質問・雑談」というトピックに被害確認の書き込みがはじまる→ 書き込んでいた人は被災地じゃない人だけ
  • 電話がかろうじて繋がってその地域の被害状況をシェアし合っていた
  • 家族の名前、住所を出して安否確認
  • 避難しているのか?避難場所がどこなのか分からない。。
  • 徐々に地域ごとに被害状況を確認するためにトピックが乱立
  • どんどん情報が発散していく・・・うわぁーカオス

連絡がつきません。○○町の様子を知っていますか?○○という人を探しています。今から、宮城に行こうと思います。
完全に、非被災地の人間だけの情報。私、私の書き込み。そうなる気持ちはとても良く分かります。管理をしているコミュについて、どうにかして情報を整理してくださいとmixiの中で言われましたが、止められないと思いました。。

twitterでの反応

  • ハッシュタグが乱立
  • #jishin #save_miyagi #ishinomaki →結局どれを見れば・・
  • 140文字で「人の命の情報」を扱うのは難しいのではないか?情報の鮮度が極めて短いように感じた。
  • 良かったのはsearch.twitter.comで「石巻」で検索すること→分かりやすかった
  • 翌日、3月12日のお昼ぐらいまでは、写真付きツイートもあった→ウチの近所の地区が水没している・・・
  • 時間が経過するごとにニーズを把握した情報が流れている(気がする)

twitterではハッシュタグが乱立。例えば、#jishinなんて身内の情報が得られるとは到底思えない。範囲が大きすぎるし、追うとしても、どうにもいかない。地域別にハッシュタグを立てることを提案したものの、twitterはそれ程、器用に機能しなかったと思います。唯一、良かったのが、単純に「石巻」でtwitter検索をすることだったと思います。
人の命が関るであろう情報と140文字(+ハッシュタグ)では相性が悪いと思った。もちろん、有益な情報もありました。
twitterのシステムの仕組み上、情報が上がるのが早いが、情報の鮮度が極めて短い状態になっていました。
このままじゃ、心配するだけだ・・・と思いました。

facebookでシェアされたこと

  • 被害状況をシェアする会社の人々
  • 関東の人しか使っていない(´・ω・`)
  • 地元の友達なんていない・・・
  • 励ましていただく


家族、親戚、友達を心配しながらも、日が変わって朝に会社から帰りました。

3/12 5:25

別のおばからメールの返信がありました。

津波来て河南公園に避難しているよ。そっちは大丈夫?お母さんたちはどうしてるの?大丈夫?

津波の範囲も影響範囲も知ることが出来ていないんだなと思いました。おばには無事だと伝えて、なんとか寝ることが出来ました。僕の場合には、地震直後に家族の安否が確認できたので、比較的心労は無かった方だと思います。

3/12(土)

ニュースを見ながら、東京にいる友だちに連絡をして、情報収集をしました。NHKの中継で出身中学校の「石巻市立蛇田中学校」の屋上から中継をしていました。どうやら避難所になっているとのこと。市内を見渡すアングルからは、煙が上がっていることが分かりました。(きっと門脇小学校だったのだと思います)この時間から、連絡がつかないという状況が続きました。
すぐに石巻に行って家族に会いたいと思いました。でも、今行っても、被災者になるだけ。。

大切な人から、心配してもらって嬉しかったです。ありがとうございます。

3/13(日)

インターネットを頑張ってきた自分に出来ること。それはサイトを作ることだと思いました。僕には、それしか出来ません。きっと、情報を集めることも、情報をまとめることも、情報の掲出方法も一般の人よりは良く知っているはず。。今、やらないと、なんのためにインターネットを勉強してきたのか・・。なんのために、上京したのか。地元の地域貢献をしたいから東京に勉強しに来たんです。想定外のタイミング過ぎたけど、やるのは今しかないと思いました。ドメイン取って、、レンタルサーバ借りて、、WordPressインストールして、、トリプルデバイス対応して、、インフォメーションを掲出して、、リリースのお知らせして。

がんばっぺ!! - http://ganbappe.jp/

人と人を繋ぎたい、そーゆーことって昔から大好きだったので、ここでやればいい。適切な情報を掲載して、復興までを見据えたいと思いました。

がんばっぺ!は、がんばろう!です。分かりますよね・・・?

  • 勉強、がんばっぺ!
  • 部活、がんばっぺ!
  • 仕事、がんばっぺ!

生まれてから、一生懸命になる時に使い続けてきた言葉です。そんなサイトを、たくさんの人が見てくれました。
サイト経由で連絡先を交換して、家族の無事を確認できたという方もいました。本当に泣けました。心から、本当に良かったと思いました。数人でも心の支えになってくれたら、それで良くて。インターネットを勉強してきた意味はある。大好きな街の復興にも協力できる。

被害状況を粛々と、まとめている人のブログを見て、感じていたことは、これは一人では絶対に続かない。ということでした。
なので、編集者を募集して、状況をまとめることにしました。
人の安否情報が関わっています。正確かつ迅速に情報提供をしてあげなくてはならないと思います。絶対に、一人では無理。。主旨を理解して、協力いただいている、皆さんには本当に感謝しております。

3/15(火)

仕事を頑張りました。揺れたり、刻一刻と変化する原発のニュースが入ってきたり。自分が出来ることを精一杯、頑張らないと世の中に申し訳がない。GooglePicasaに上がっている市内の安否情報をまとめました。本当にすごいですよ。被災地からアップされた避難者の名前を、ボランティアでテキスト化して、PersonFinderに入力されています。涙が出そうになりました。

3/16(水) 夜

実家からちょっと離れた地域に住む、従姉と電話で話をしました。旦那さんの実家が全壊したそうです。

ようやく、母と電話がつながりました。蛇田地域には電気が復帰したらしいです。
母は、元気だと言っていました。津波が家の前まで来て、逃げるかどうか悩んだらしいです。家の中は、めちゃくちゃだけど、家に居られるらしいです。「あと二回、大きな地震が来る」と情報が流れているらしく。。それまで、片付けられないと言っていました。落ち着いたら片付けなって言いました。仕事頑張ってから帰るねって伝えました。頑張れって言われました。

弟の方が辛かったみたいでした。ちょっと、実家から離れた職場で働いている弟は大街道地区の口を開けて水の中で浮いている死体を見たらしいです。車も積み重なっていて、その車には死んでいる人が入っていたらしいです。辛かったね。って言いながら話を聞いてあげました。。あと、仕事頑張れとも伝えました。

時間が経ってソーシャルメディアは・・

震災から時間が経つとそれぞれのサービスで語られる内容も変化してきました。ソーシャルメディアは感情にとても素直です。

mixi

  • ○○くんが行方不明だけど、どうなったか知っている?
  • 「足あと」が「リアル足あと」になって、生存確認が出来た
  • 被災地の写真があがりはじめる→被災地の人からの携帯メールより
  • 友達の日記で友達の母親が亡くなったことを知る
  • 日記の内容に気を使えと言う人が出てくる
  • サイト運営に協力してくれる人が出てくる
  • 遺体安置所で書き込みがあった人の名前を見つけましたと言われる
  • ○○くんが遺体安置所で見つかったと報告を受ける

mixiが効率よく身近な情報を集められたと思います。その分、辛い話もたくさんmixiで聞きました。どう励ませばいいのか。どう言葉をかければいいのか。涙するばかりでした。

twitter

  • 「被災地に対する外部からの情報」と「被災地の生活情報」に分かれている?
  • フォロワーが増えた(+60くらい)→ これを機会にtwitterをはじめた人
  • ローカル局のアナウンサーがレポートをする

こんなツイートどうですか?












見ていて、悲惨さが伝わるものや、被災地の人間にはあまり関係がない、被災地じゃない地域からの被災地に対する情報や、被災地にいて知っていたら利用したい情報等。これらの情報は今回、多くの人に届けようとしても知らずに終わった人の方が圧倒的に多いはずです。ツイートの本質的な情報としての価値を被災地に届けないと、ただのノイズになりかねません。

facebook

  • 節電を始める
  • ぽぽぽぽーーんって言う


ここで言いたいfacebookの特徴は(僕の場合には)被災地の人間がお友達にはいなくて、関東の人しか使っていなかった・・ということです。

感想まとめ

僕の家族が無事だったのは、本当に運が良かっただけだと思います。
その運をどうにかしなくちゃいけない。

人の役に立てるようにしなくちゃ。津波の被害を知ってもらって共有して。ここからがインターネットが得意なところなはずです。

被災直後は無力に感じたインターネットでしたが、今からが本領を発揮する場面だと思います。

復興までの道しるべを自分なりに一生懸命考えて。家族が生きていられてことを幸運に感じながら、大好きな街を元通りにするべく。頑張ろうと思っています。本当に石巻をどうにかしたくて、、自分一人では無理なので、、ぜひ、お知恵をお貸しください。大好きな街でもう一度、川開き祭りの花火が見たいんです。。復興まで時間は掛かるだろうし、これから辛い話もたくさん聞くことになると思っていますが、頑張ります。


ありがとうございました。