復興ログ

未来の被災地にいるアナタと数十年後のキミたちへ。すべての記録を残します。

2015年6月 復興支援メモ

東京

経済的で効率的な仕組みが出来上がっている。
日本中から人が集まることにより、多様な価値観が入り乱れている。その価値観が故に、東京を形成する大きな枠組は「資本」になり、資本が基本的な共通価値を示すものさしになりがち。
 
この資本スケール(ものさし)に浸りながらビジネスは行われるわけだが、それだけでは動かない心情心理が世の中には存在している。
その心情心理が、東京にいては見えにくい世界になる。

日本の課題を背負った被災地

東日本大震災により、被災地では日本の地方都市が抱えていた課題が顕在化したと言われている。
人口流出、コミュニティーの崩壊、地域経済の衰退。被災地は日本の地方が抱える課題を他の地域よりも10年も20年も先に経験することになったと言われた。
しかし、4年が経過したいま。復興により生まれた新たな課題も存在しているように思えてくる。
この4年間の支援により、街が、自立性、自発性、主体性を失いかけたこと。アイデンティティーを見失いかけていること。新規構想による、過去の置き去り。4年以上前を置き去りにする傾向が強まった見方ができる。これは東北固有・地域固有の課題に発展しつつあるように感じる。
 
被災地域が日本の別の地方と異なることは、復興支援の手が入っていること。
 
過去に自信を持ち、この街に生まれたことをもっと誇らねばならない。
先代から受け継いだ景色や風景、文化、伝統を今だからこそ、見直すことが重要である。その上で、この街を支え、新たな文化を作り、地域を作るのは自分たちであるという当事者意識が求められる。

見直すべき価値

我々が今、切り拓こうとしていることは被災地が被災地以前から歩んできた歴史からすれば、ほんの一部であり、過去の文化の延長であるということを、もっと深く理解しなければならない。その街の個性を形作ってきたのは何十年も、その土地で生きてきた人々である、というもっとも重要な価値。4年でその価値を変えることはなかなか難しい。また、変えることが正しいとも限らない。
過去の文化やコミュニティーを見直すことにより、新たな価値を無理のない形で作り、次の世代へ伝えていく必要がある。

4年という時間

震災から1500日が経過し、震災直後に発足したシステムは「踊り場」に差し掛かっていると言って良い。発足当初の志を見つめなおし、現状に照らし合わせ、あらためてアップデートする必要がある。
自己実現に行き着くようであれば、その仕組みや理念を見直し、アップデートする必要があるだろう。誰のための何の仕組みであるのか?対象者の現状を理解し、持続可能な仕組みに作り上げることが必要なフェーズである。 

街が戻るということ

震災前の街の状態を知る人からは「震災前に戻った」という声が聞かれるようになった。右肩下がりのダメだった震災前の街に戻った。震災前に戻った街をどのようにとらえるか。
震災直後の初動のような(内外問わず)動きが期待できない今となっては、地域の内発的な発展でしか、本質的な復興は成し得ることができない。地域の心情理解が求められるため「元あった街を、元いた人間の手で発展させられるか?」ということが重要になる。
元あった街は日本に一箇所しか存在していない。その街を戻せるのは、唯一その街の人達であるということになる。
つまり「住民主体による街づくり」ということになる。それには「時間」が必要となり、そのためには大きな「覚悟」が伴う。
街とともに一生、生きていけるか?その覚悟を抱いて動かなければ、物事は前進しない時期となってきた。
一生、生きていくということは、自分自身に責任を持つということになり、自分の行動に自分でリスクを追うことにもなる。
全ての行動に責任を持って、それに伴う全リスクを背負う覚悟があるか?
東京へヒト・カネ・モノが一極集中する今の日本で、強い地域愛によるアイデンティティーと覚悟を持てるか?
これが、地域をおもしろい場所へと変える力になるのではないだろうか?
震災が発生してから4年で被災地は多くの課題を突きつけられたが、裏を返せば、それは東京の課題であるということが見えてきた。
 
地方の課題は東京の課題
 
この街を行く人に聞いてください。
「あなたはなぜここにいるのですか?」と。
そしたら、こう応えます。
「ここしかないから」と。
 
「ここしかない」それは大きな覚悟です。気づいていないかもしれませんが、それはとても大きな覚悟で、決して悲観するものではありません。
東京の課題の裏側にいることは、東京では出来ないことがやれるということなのです。
 
以上。